裁判員制度は日本文化に浸透するのか
2009年5月21日からスタートする裁判員制度。
もう11月末には最初の裁判員が通達されるとのこと。
いままで、世界のあらゆる仕組みを取り込み、進化してきた日本。
そして、今回の裁判員制度。
すでに国民が裁判に参加する制度はアメリカ,イギリス,フランス,ドイツ,イタリア等でも行われている。
それを日本にも導入する時がやってきた。
はたして、これはうまくいくのだろうか?
これは国民が裁判をもっと身近に感じるため、司法に対する信頼を向上させるために導入をするとのこと。
だけど、被害者、加害者にとっては一大事の出来事である。
それを司法のことをぜんぜん知らない国民に任せてもいいのだろうか。
特に日本人は、
みんながあっちを向いたと聞けば、あっちを向く。
みんなが賛成と言ったから、自分も賛成。
といったように、他人の意見に左右されやすい。
それに、国際会議では、
インド人をだまらせて、日本人をしゃべらせろ。
というように、日本人は自分の意見を言うのが苦手である。
既に、この制度を導入しているアメリカ、イギリスなどでは
ちゃんと自分の意見を言う人が多い。
そして、個性を大事にし、他人の意見にも左右されにくい。
一方、日本人はまとまりを大事にし、出る杭は打ちたがる。
そんな日本人に、この裁判員制度ははたしてつとまるのだろうか?
結局は、弁護士の力量、プレゼン力がものを言うのではないだろうか。
今回のこの裁判員制度の導入は仕組みのよさだけが先攻してしまって、それに国が追いついていない気がする。
日本にこの制度を導入する前に、政府はもっと日本人がちゃんと自分の意見を言えるようになるように教育をもっと整えるべきだと思う。
まぁ、といっても、今まで日本は世界から色々なものを取り込み、それを日本流にアレンジしながら、うまく日本のシステムに組み込んできた。
例えば、日本語。
中国の漢字から、ひらがな、カタカナを作り、それらを組み合わせることで表現が豊かな言語を作った。
こういった感じに、裁判員制度も、徐所に日本流にアレンジしていき、うまく日本のシステムに組み込めればいいんですけどね。
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